ポンペ病TOP患者さんとご家族へのメッセージ病を知り、病を診る―ポンぺ病と診断され、医師になるまでの道のり

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患者さんとご家族の声

病を知り、病を診る―ポンぺ病と診断された小学生が、リハビリと出会い、医師になるまでの道のり Aさんが「遅発型(小児型)ポンぺ病(以下:ポンぺ病)」と診断されたのは、小学6年生のときでした。病気の進行により身体の自由が制限されながらも、治療と勉学を両立させ、医学部へ進学しました。現在、リハビリテーション科医(以下:リハビリ科医)として、同じように困難を抱える患者さんを支援しています。ご自身の病気と向き合いながら医師として働くAさんのこれまでの歩みについて、お話を伺いました。
Aさんのリハビリテーションの実際 AさんからのTips
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筋ジストロフィー疑いと診断された9年後に、ポンぺ病と判明

3歳のとき、風邪で病院を受診した際、肝機能を示す数値が高く、小児専門病院へ紹介された。血液検査の結果、肝機能に加え、筋肉の損傷を示すクレアチンキナーゼ(CK)の値も高かったことから、筋ジストロフィー疑いと診断された。その頃から、年1回の定期通院が始まった。幼稚園や小学校では他の子ども達と同じように走って遊び、集団活動も支障はなく、自身が病気であることを自覚することはなかった。「小学生時代は、走るのが学年で一番遅く、鉄棒も体操も苦手で、運動神経が悪いことがコンプレックスでした」とAさんは語る。
小学6年生になると、階段の上り下りがつらくなり、教室を1階に移す措置を学校へ依頼した。病気の進行が目立ち始めたため、県外の大学病院で筋生検を受け、ポンぺ病と診断された。
診断後、ご両親はすぐに動き始めた。まだインターネットの情報も少なかった時代、海外の文献含めポンペ病について情報収集し、病気に効く可能性があることは全てやろうと、外来リハビリテーションとたんぱく質を中心とした栄養療法を始めた。これらはポンペ病の根本治療にはならないものの、側弯の進行予防、筋疲労の緩和、身体のバランス維持、筋肉に必要な栄養補給を目的としている。将来の職業であるリハビリ科医の仕事に通ずるとともに、数十年経った今現在も、Aさんがライフワークとして大事に継続しているものである。

病気と自分に向き合い、「みんなが助けてくれるから、私にできることをしよう」と決めた中学時代

ポンぺ病と診断された当時は、まだ治療薬がなく、定期的な検査で経過を観察するしかなかった。中学時代は、Aさんにとって病気の進行が最も速かった時期である。中学1年生で自転車に乗れなくなり、中学2年生で床から立ち上がることが困難になった。Aさんとご両親は、担任の先生に病気のことを説明し、先生から同級生に筋肉の病気であることや、同級生のサポートが必要なことを伝えてもらった。通学は徒歩だったが、重い荷物を持てないため、教科書は学校用と家庭用の2セットを用意した。教室は1階でトイレに近い位置に配慮してもらい、体育の授業は見学。学年集会では同級生に声をかけパイプ椅子を持ってきてもらい、階段の上り下りは荷物持ちなどのサポートをお願いした。負けず嫌いで完璧主義だったAさんは、周囲の同級生が輝いて見える中、同じように行動できない悔しさで精神的に挫けそうになったが、毎日そばで、快くサポートしてくれる同級生たちを大事にしたいと、心から「ありがとう」と感謝を伝えてきた。卑屈になって自分を責めることはどうしようもないとしても、「みんなが助けてくれるから、私にできることをしよう」と決めた。後ろ向きなことは日記に書き出し、「私にできることは何だろう?」と問い続けた。見つけた答えが、「感謝」、「勉強に集中する」、「友人たちに勉強を教える」ことだった。
高校生になると、横断歩道を渡りきるのに誰かの支えが必要なほど歩行スピードが落ち、授業が終わる頃には体力を消耗し、帰宅後すぐに眠りにつく日々だった。放課後に友人関係を広げることが難しいうえ、クラス会も断らざるを得なかった。多少体調を犠牲にしても参加しようか悩んだとき、「今の楽しみよりも10年後、20年後も歩けるように今の健康を大事にすることのほうが何倍も価値がある」と、お母様から厳しくも愛のある言葉を受け、自分を大事にするとはどういうことか自分に問い続けてきた。
何百回、何千回と病気の進行や人間関係に落ち込み、「今の私にできることを精一杯しよう」と這い上がる。その境地に至るまで、自身の在り方や歩むべき道を模索してきた。

※この内容は2025年11月15日時点のものです。

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