患者さんとご家族の声
生後すぐにゴーシェ病と診断 -同じ病気でも治療法がまだなかった姉の存在
- 私は、生後間もない頃にゴーシェ病と診断されました。診断がそれほどまでに早かった理由は、同じゴーシェ病のために亡くなった姉の存在があったからです。
- 姉は、私が生まれる前に7歳で亡くなりました。姉の病状や闘病の様子などについて、詳しいことは知りません。両親が話したがらないからです。それでも、時おり聞く話から、とても大変だったらしいことは知っています。その経験から、両親は私が生まれるとすぐにグルコセレブロシダーゼ酵素活性の検査を行い、その結果、私には酵素活性がほとんどないことが分かり、ゴーシェ病と診断されました。
- 生後すぐに診断された私は、もの心つく前から治療を受けていました。正確にいつ頃から酵素補充療法を始めたのかは覚えていませんが、幼稚園に通っていた4、5歳の頃には、病院で点滴を受けていた記憶があります。姉が幼い時はゴーシェ病の治療法はありませんでしたが、私が生まれ診断された頃には、ちょうど海外で治療薬が開発されていました。両親はすぐにその薬を海外から個人輸入して、自費で治療を受けさせてくれていたと聞いています。治療を受けられなかった姉と治療を受けていた私とでは、同じ年でも外見や、日常生活でできることが全く違っていたそうです。これほど早くに診断され、治療を始められた私は、とても恵まれていたと思います。
大学ではバイオサイエンスを専攻 -病気を理解してくれる環境で心が楽に
- 早くから治療を始めていたおかげで、子どもの頃の私は、あまり病気という自覚がありませんでした。ですから、病気そのものよりも、学校を休んで遠くの病院に通院しなくてはならないことの方が大変でした。幼稚園や小学校の頃は、周囲に病気のことを話していませんでしたから、頻繁に休む私をクラスメイトが「授業を休めていいなぁ」と羨ましがるのが、すごく嫌でした。だから、勉強では他の子に負けないように頑張りました。この頃は、自分自身でも病気についてよく分かっていなかったので、治療のモチベーションはもっぱら“ご褒美”として買ってもらうお菓子などでした。
- 中学校、高校へとあがるにつれ、通院のために早退することで授業についていくのが難しくなり、近くの病院に転院しました。この頃には、仲の良い、信頼できる友人には病気についても話すようになっていましたが、そうでない人には病気のことを知られたくありませんでした。それでも、早退の理由を聞かれれば通院のためであることを話さなければならず、そのことで気を遣われたり、理解されないことがあったりするのが辛かったです。
- 大学に入学しても、講義と通院とを両立する難しさは同じでしたが、周囲との関係は変わりました。今、私が専攻しているのはバイオサイエンスなので、先生も、周囲にいる友人たちも遺伝子や酵素などについての知識をもっているため、ゴーシェ病という病気がどのようなものであるかをすぐに理解してくれますし、逆に私の知らないことを教えてくれることもあります。学術的な興味をもって聞いてくれたり、酵素補充療法がどういうものなのか話すと「スゴイね」と言われることもあります。学校側も病気に理解があり、何か困っていることはないかと気にかけてくれます。病気を理解してくれる環境が整っているので、いろいろな面でとても楽になりました。今は病気について周囲にオープンにしていますし、「病気を隠していても何にもならない」と考えられるようになりました。
※この内容は2015年2月19日時点のものです。