

患者さんとご家族の声
ポンぺ病と診断されて、頭が真っ白になった

- 次男のMは生後まもないころから動きが鈍く、兄と比べてもどこか違和感のある子でした。からだも弱く頻繁に発熱し、そのたびに病院を受診しましたが、診断をつけてもらうこともなかなかできませんでした。筋肉の検査数値に気になる点があるということで紹介された大学病院で精密検査を受けて、ようやくポンぺ病と診断されました。
- 診断を聞いた瞬間、私と妻の頭は真っ白になりました。当時は酵素補充療法(ERT)もなく、ポンぺ病は発病後の余命の短い病気でした。
- 医師からは「たくさん思い出を作ってください」と伝えられ、すぐには何のことかわかりませんでしたが、しばらくしてその意味に気づいたときには、私も妻も血の気が引きました。あまりの衝撃に、家に帰ってからも会話をすることもできず、ただただ黙りこんでいたことだけを覚えています。次男との別れが近いかもしれないと覚悟し、そこからはなるべく楽しい思い出を残そうと、家族でさまざまな場所に旅行に行きました。
病気に振り回された学校生活
- 幸いなことに、大きな問題もなく、次男はすくすくと育っていきました。しかし、からだの弱さと、動きが鈍く運動が苦手なことは変わりませんでした。幼稚園ではかけっこが遅いのがつらく、涙をこぼす日も。小学校に入学してからも、からだの特徴をからかわれ、不登校気味になってしまった時期もありました。
- 中学・高校ではERTによる治療を開始することができ、体調を崩すことは減りましたが、通院や手術が重なり、出席日数はいつもギリギリでした。それでも周りの友人や先生方の理解と支えに助けられ、なんとか卒業することができました。大学では病気の影響で学科の変更を余儀なくされましたが、自分の関心に合う分野を見つけて研究を続け、大学院まで修了できました。病気のために遠回りを重ねてきましたが、本人にとっても確かな成長があったのではないかと思います。
念願の在宅ERTを開始し、正社員としてのキャリアが実現
- 苦労を重ねて大学院を修了し、就職することはできましたが、就職後もしばらくは体調不良や治療のための通院で会社を休むことが多く、正社員にはなれずに非正規雇用が長く続きました。本人もとても歯がゆい思いをしてきたと思います。
- 2021年、そして2023年に在宅酵素補充療法(在宅ERT)の薬剤が保険適用になりましたが、私たちの住む地域ではそれに対応できる医療施設が見つからず、導入は困難でした。それでもあきらめずに、どうにか在宅ERTを導入できないだろうかとケアワーカーなど多くの方に相談して情報を集め、医療機関への問い合わせを続けました。
- そして2025年4月、ようやく在宅ERTの対応が可能な施設を見つけることができ、念願の在宅ERTを導入することができました。自宅での治療に切り替わってからは、通院の負担が減り、仕事のリズムが安定。職場の理解にも支えられ、念願の正社員としてのキャリアが実現しました。
※この内容は2025年12月時点のものです。