ポンペ病TOP患者さんとご家族へのメッセージ『ハートはあったかい』―絵本にこめた息子への思い

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患者さんとご家族の声

ハートはあったかい~ポンペ病の息子のために~ 吉田さんの息子さん、彩芽(あやめ)君は5歳のときにポンペ病と診断されました。まだ幼く、また自閉症を併せ持つ彩芽君に病気のことを理解してもらい、治療の大切さを認識してもらうために吉田さんが考えたのが、彩芽君のための絵本を描くことでした。彩芽君と共に成長し、強くなってきたと語る吉田さんに、彩芽君の母親として経験したこと、感じたこと、そしてこれからのことについてお話を伺いました。 ポンぺ病患者会 副会長 吉田 香澄さん

『ハートはあったかい』 ―絵本にこめた息子への思い

絵本という方法を選んだのは、自閉症の子どもは耳からの情報を受け取ることが苦手なので話して聞かせることが難しく、視覚的に説明する必要があったためです。彩芽はこだわりが強く、物事を納得するのにも時間がかかります。
そこで、絵本という方法で情報を目から繰り返し伝えることにしました。絵本の内容は、病気があるから悲しいのではなく、病気があるから治療が必要だけれど、お母さんも頑張るから一緒に頑張っていこうよ、と伝えるものにしたいと考えていました。そうして一生懸命考えて描いたのが『ハートはあったかい』です。

ハートはあったかい

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ハートはあったかい

彩芽が生まれ、病気が分かったこと。病気があっても、嬉しいことや楽しいことを幸せだと感じるときはいっぱいあるのだから、いろんな人に助けてもらって、幸せの芽を見つけながら、頑張って生きていこうね、という絵本です。当初は絵だけのつもりでしたが、絵を描いているうちに言葉も浮かぶようになり、最終的には言葉も入れて3ヵ月かけて完成させました。途中からは彩芽のためだけでなく、自分のためにも描いている気持ちになりました。伝えたいことを言葉にしていったら、頑張っている毎日のなかで私自身も忘れがちな小さな幸せを思い返す内容になったからです。
絵本が完成した後も、彩芽が興味をもってパラパラとめくり、それを読み聞かせながら話ができるようになるまでに、さらに何ヵ月もかかりました。最初は自分から話さない彩芽がどこまで理解しているのか分かりませんでしたが、絵本の完成から半年後、「治療だよ。チックンだよ」と繰り返し教えて連れて行った初めての点滴の日、彩芽は誰に押さえられることもなく、点滴を終えることができたのです。
どうして点滴を無事に終えることができたのかは、家に帰った後、絵本を見ながら彩芽が言った「僕、ポンペ病だから頑張るんだ」の一言が、すべてを表していると思いました。いつの間にか、彩芽は絵本の内容を全部覚えていました。酵素補充療法以外、例えば別の治療のために近くの小児科で点滴を受けた際には暴れたことなどを考えると、私のすべてを込めて描いた絵本を彩芽が理解してくれたのだと、本当に嬉しくなりました。

ポンペ病のことをもっと知ってほしい ―隠しても何も変わらないから、前に出る

酵素補充療法を始めた後、1年ほどで、彩芽はいろいろなことができるようになりました。検査の数値も改善しましたし、階段をぴょんぴょんと駆け上がり、遅いながらもマラソンで2~3kmも走れるようになりました。頻繁な風邪や胃腸炎、脱毛などもなくなり、それらにもポンペ病が影響していたことが分かりました。自分でできることが増えたことが精神面にも影響したようで、理解力も高まり、自閉症特有のこだわりも小さくなって、いろいろなことに挑戦する意欲が出てきました。体と心はつながっているのだな、と感じています。
ここに至るまでには、本当にたくさんの人に助けられてきました。ポンペ病と診断されたときの主治医の先生は「彩芽君はいろいろな可能性を秘めているのだから、頑張ればきっと良い方向に向かいますよ。僕も一緒に、一から勉強させてください」と言ってくださいました。また、同じ病気をもつ子どもの親にしか分からないこともあるだろうと、患者会に連絡をとって橋渡しをしてくださったのも、先生でした。
患者会には、本当に助けていただきました。私たち患者・家族の受け皿となり、病気についていろいろ教えてもらったり、他の患者さん、家族の方と出会い、励まし合い一緒に歩んできました。現在も、実際に私がいま苦しんでいることについて、それぞれの方の経験を教えていただいたり、励まされたり、あるいはこれからの治療のために必要なことを教えてもらったりと、患者会の存在はとても大きなものです。今は、私自身も患者会の一員として、ポンペ病に対する認知度を上げるための活動をしています。治療法ができたこと、インターネットが普及してきたことで少しずつ認知が進んではいますが、まだ不十分だと思います。ポンペ病だと分からずに亡くなってしまう赤ちゃんや、診断がつかずに苦しんでいる子ども達がいなくなるように、いろいろな人とつながりながら、私自身が一歩前に出ることで、少しずつこうした状況を変えていきたいと考えています。

※この内容は2015年3月31日時点のものです。